ゴリアテ | アニメ・ゲームブログ

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父の死と100日後に死ぬワニ

 

100日後に死ぬワニが炎上してる。はてブではなんだか批判コメントばかりで作者が少しかわいそうに思うのでこれを書いておく。

 

追悼キャンペーンが不謹慎だとか、死を軽率に扱ってるとか、友達の死で金儲けだとかはたまた電通が関与してるとか、みんな色々と怒りを持っていて、作者にまでそれが向けられているみたいだけど自分はそこまで怒りを感じない。

 

「個人的に100日後に死ぬワニ」がここまで読み手の怒りをこみ上げさせてしまったのは、作者と読み手で見ている世界が違うというのも一端としてあると思う。

 

死をマーケティングに使うのが不謹慎だとか、死を軽率に扱ってるからダメなんだ!っていう人もいるけど、それはちょっと違うかなって思う。

 

だって最近のダイヤモンドプリンセス号の件で船ごと燃やせっていう人とかそこそこいたし本当に人の命を重く受け止めてるのと思うくらいには酷い中傷が見受けられた。

市川海老蔵の奥さんの死だってメディアで散々美談にされ視聴率を取るための道具にされていたけど周りは感傷に浸って盛り上がっていたし、ワンピースだってエースを殺して美談にしている。物語やメディアにおいて死をネタにするのはわんさかある。

 

読み手と作者の認識のズレ

きっかけは「友人の死」ということもあって作者にとって「ワニの死」は過去の日々そのものに見えた。

死という題材はどうしてもそれ自身が暗くなりがちなので読み手が陰鬱な思いを抱かないようになるべくコミカルに楽しくし漫画にしていたように見える。

そして「最後の日」でその楽しかった日々がいかに大切な一日、一日であったかを表現したかったのだろう。

 

大切な人の死をきっかけにそのような描写ができたとするならば、作者にとって友達の死は「過去の出来事」だからのはずだ。作者にとって友達の死は既に終わったことで、乗り越えた後のものなのだ。

 

対してあの漫画を読んでいた人たちは「今の出来事」として見続けていた。

 

読み手は「今死んでしまったワニ」を強く意識していると思う。だからワニが死んでから四九日待つべきだと考えるし、死をプロモーションみたいに扱われると嫌悪感を持つ。でも作者は終わった出来事を描いているだけなので同じような認識を持っていない。

 

ワニのきっかけが友人だとするならば、作者にとってワニの死は既に乗り越えたものだし、四九日なんて何年も前にとっくに過ぎている。そりゃたまに振り返ったり思い出したりして悲しくなることはあるけれど、死を漫画の題材にする程度には回復している。人は大切な人の死を乗り越えられるようにできている。

 

父が死ぬまで後300日

私はこの漫画を読んで一昨年亡くなった父を思い出した。私の父は高齢で結婚したので私が成人を迎えるころには還暦だったし、日ごろの生活の偏りから先が長くないことを10年前からわかっていた。

 

運動会に来たのも、授業参観に来たのも、卒業式に来たのもすべて父だった。母は極端に人の目を嫌うため私に関する行事をすべて父に任せていた。

 

私が就職して地方に独り立ちし、数年たつと父に重大な病気が見つかった。私はああ、この時が来たのかと悟ったと同時に頭をかち割られたような衝撃で気が狂いそうになりながら、会社から帰宅し、突っ伏して泣き喚いた。

 

それから、ほどなくして仕事を辞めて実家に戻った。それから仕事も探さず日々家に居続けた。父親が死ぬまでの約一年間、一日、一日をかみしめるように過ごした。

 

家族でアイアムレジェンドを真剣に見ていたら一番最高潮のゾンビが出てくるシーンでチャンネルを変えられてしまう、将棋をして遊んだらバカアホと悪口を入れられる、夜中に父がパズドラを大音量でしてるせいで眠れなくなる。まさにワニの一コマ一コマのように何でもないありふれた日常。そんな一日一日を薄いバターを引き延ばしてトーストに塗り付けるように強く心に刻み付けて過ごした。

 

父が死んだ時、また「あぁこの日がきたか」と思った。今度は泣かなかった。だが孤独による毒は全身を巡っていた。私の精神は大いに荒れ果て、それは家族も同じで、家の中は荒れ狂い、警察沙汰に何度もなり、色んなものを失ってしまった。

 

一年半前の自分と、今の自分は違う。いつの間にか昔のような悲しみはない。振り返って悲しみ泣くことはあるが、あの時の心情とはちがう。今ではこうしてネタにできるほど回復している。人は大切な人の死に耐えられるようにできている。

 

大切な人の死は超えられる

昔の漫画で「守って守護月天」という漫画がある。

 

まもって守護月天! 1巻

そこで登場するヒロインの少女は3000年生きる精霊なのだが、心の清らかな者だけが彼女を呼び出し守りを得ることができる。だがそれ故に守護月天は主を死ぬまで守り、そして寿命の訪れとともに別れを繰り返す。主の心が清らかであればあるほど、主を守り尽くすほど、主が自分を大切に思ってくれればくれるほど、寿命による決別は耐えがたいほどに辛くなってしまう。

 

そんな彼女が両親を失った幼い主に対して言う、ひどく印象的なセリフがある。

 

「大切な人を失うのは悲しいです。寂しくて前が見えなくなってしまうこともあるかもしれません。

…ですが、超えられない悲しみではありません」 

 

この言葉は大切な人を失った経験がある彼女だから重みがある。彼女はその時だけとても悲しそうな顔をするが、その次の日何事もなかったように笑顔になっている。


彼女の言葉は今になって分かる。

人は大切な人を失っても乗り越えられるようにできている。それを知っているかどうかで、ワニを描いた作者への気持ちは変わってくると思う。

 

ショーウインドウのエミリー―桜野みねね短編集 (ガンガンコミックス)

 

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