ゴリアテ | アニメ・ゲームブログ

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狭く薄暗い泥の社畜人生から抜け出そうと決めたあの日

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私はリーマンショック東日本大震災という二つの災厄がもたらした強烈な就職氷河期の真っ只中で就職適齢期を迎えた。

 

パチンコの従業員、飲食店の店員、零細企業の従業員、ブラックと名高いホームページ制作会社、それらすべてに書類審査・面接で落ち、やっとの如く最終面接までたどり着いたシステム会社も落ちた。

 

そんな不況の真っ只中でデザイン制作職という希望していた職の内定を得られたのは、はたから見れば幸運に見える。これが私を5年間縛り付ける呪詛となる始まりだとは誰も予想しないだろう。


部署に配属され、初対面となる同僚との会話はなんというかどこか奇妙だった。

笑顔がなく挨拶をしてもぶっきらぼうでそっけない。部署全体に冷たい空気が流れている。

 

その世界に自分に居場所などないかのような違和感。

 

原因は後から分かった。


私が入社試験を受けた際、部署の社員たちは私を能力不足と評価し入社に反対していた。
だが、社長が私を気に入ったため反対を押し切って入社を許可しさらに辞めた社員もいたことで風当たりが強くなっていたのだ。

私は社長に嘘をついて入社したのだろうと思われていた。

 

さらに予想だにしないことにその会社の社長は社員全員から嫌われていた。

 

気に入らない社長が入社させた気に入らない新人。

歓迎されないのは当たり前だった。

 

毎日のように続く重圧と罵倒、私は仕事のできない社員として扱われ、人が嫌がる仕事を率先して受けていた。


私より早く入社した彼らは、はた目から見ても仕事はできる先輩社員だった。

 

厳しく、情を持たず、趣味に傾倒せず感情を滅し技術を高めるためだけの努力する。女性はそれに加え気遣いと気配りを徹底し、相手の要求を的確にくみ取って先に動き、身なりは常に美しくなければならない。そうでなければ人として扱われない。

 

正しい大人の姿というのはそういうものだと私は理解して、彼らもそれを要求した。

 

テレビを見る暇があるなら勉強をし、ゲームなんてやってはいけない。

無能な私は周りに合わせるため趣味や楽しみを全て捨てた。

 

好きだったものを段ボールに詰め込み封をして、ゲーム類は全てアンインストールした。


ひたすら職場と家を往復するだけの生活が続いた。生活時間は残業によって圧迫され家事はすぐにおろそかになった。

 

そんな生活が1年、2年と経っていくうちに私の心は限りなく薄くなっていった。


辛い日々を耐えるために私は楽しいという感情を捨てた。辛いという感情を感じないようにするため楽しいという感情を封印したのだった。

 

この方法は効果的だった。理不尽な罵倒も上司による責任転嫁も顧客からのヒステリックなクレーム対応も私は何も感じず淡々と処理することができた。

 

だけど私は同時に大切なものを失っていた。
好きという感情がなくなった。

 

大好きだったゲームをしても、登山をしても、カラオケに行っても、楽しいと感じない。

 

ただ無為な時間が流れるだけで、無色透明で方向性のない更地のような心境でただ淡々と時間が流れるのを待つだけだった。

 

徐々に何かをする休日が減った。ただベッドに引きこもり何もしない寝たきりの時間を過ごすことが大半になった。

 

辛いことを感じないようにした結果、感情そのものが死んでいた。

 

普通の人ならば転職をしていたと思う。実際、私の同期はこの時点で全員辞めていた。

 

私も辞めたいとは思っていた。求人を何度か見て応募したが、採用担当からの電話を取ることができなかった。

 

恐ろしかったのだ。

 

パチンコの従業員も飲食店の店員も全て落ち、今の現場でも仕事ができない社員という烙印を押されている自分に次の就職先が見つかる自信がなかった。

 

確かに会社の上司や先輩たちは人格的には大嫌いであったが仕事の能力や姿勢は秀逸で、憎しみと同時に憧れに近い感情を持っていた。

 

それに仮に転職ができたとしてその先でも上手くやっていけるとは限らない。

 

新しい世界に飛び込んで傷つくくらいなら、多少辛くても慣れた環境でじっとしている方がいい。

 

私の中のつまらない維持と執着、不安と迷いが、未来の変化を妨げていた。

 

……

 

もしかしたら私は、彼らに認めて欲しかったのかもしれない。

 

 

とある休日、

 

方向性のない意思の中で私はただ空虚にインターネットをのぞいた。無意識に白紙のノートを探していた。画面にははてなブログが映し出されていた。白い背景と黒い罫線だけの質素すぎるブログ。これがいいと思った。

 

感情のない日常は苦痛だった。

 

精神は何も感じなくても頭の中ではこれは人間のあるべき状態ではないと警鐘を鳴らしていた。

 

人間なのに機械のような暮らしをしている。

人間なのに生きてすらいない。死んでいないだけの状態。それは想像を絶する痛みだった。

 

引き裂かれる痛みの中で、私は終わりを望んだ。

 

何もないブログに、自分の意思を書こうと思った。

 

そうすることでかつて失った感情を取り戻せるかもしれない。今まで言えなかった心情をブログに吐露し晒しておくことで感情を再び取り戻そうと画策したのだった。

 

私はマウスを動かし、質素なブログを立ち上げた。

 

 

それが、私の人生を変えることになるとは思わなかった。

 

 

 

ブログは蝶よ花よともてはやされすぐに成長した。

 

初回から3桁のアクセス数を得てしまったことで私はブログに執心した。

 

画面に向こうに見ている人がいるという事実が私の義務と責任を肥大化させた。

 

デザインをより見やすく個性的なものに変え、内容をより充実させてひたすら自分の好きだったものを書き続けた。

 

写真の角度や光源などにも気を使い、何枚も撮影しより美しい写真を厳選して載せた。

 

仕事の責任感はそのままブログに通じた。私は見ている人のためにブログを発展させ書き続けなければいけない義務感に取り憑かれていた。

 

感情があってもなくても、ブログの中では私は生きているように振る舞う。意思のない機械が必死に人間のフリをするように私は感情豊かな人間を演じていた。

 

一年経ち、二年経ってブログはかなり大きくなっていた。アクセス数だけで言えば大手ほどの数があった。

 

ブログなんて吹けば飛ぶ程度のものだと思っていた。ただの心情を吐露する白紙のノートだったのに名前が有名になってさまざまな声が届いて、私は引くに引けない状況になっていた。

 

キャラクターの心情もストーリーも掘り下げるのは簡単だった。私は常に上司と先輩に怯え、毎日顔色を伺っていた。

 

昨日は機嫌が悪い、今日は機嫌がいい。でも明日は機嫌が悪くなるかもしれない。

 

上司の機嫌次第でその日の八つ当たりが変わる。だから毎日毎日顔色を伺い、気遣いを模索する日常。

 

人の心など手に取るようにわかる。

 

それを表現するとブログはさらに大きくなった。私はその頃から名前も覚えられないような粗末な人間から「ゴリアテ」になっていた。

 

そして私がゴリアテになった瞬間、私は仕事を辞めることを決めた。

 

私はブログを通して光を見てしまった。ブログという世間とつながる窓から差し込む黒い光。

 

その一筋の黒い光が私に決断をもたらした。

 

今まで職場の狭い世界しか見えてなかった。連続した変化のない毎日、同じ顔、同じ人。

 

ブログから差し込んだ真っ黒な光は独特な奇妙さを持ち同時に甘美であった。私は光に魅せられ、取り憑かれ、あらゆる迷いを容易くも断ち切った。

 

凄まじい決断力だった。

私はすぐにその土地を発つ事を決め、1ヶ月で退職したいと申し出た。

 

1ヶ月で身の回りの処分を行い、引越しの手配をし有給を可能な限り使用した。

そして全ての技術と愛情をブログに注ぎ込んだ。

 

取り憑かれたように何かに執着する私の姿を彼らは奇異なものでも見るような目で見ていた。

 

退職願いを届ける日、最後に「本当にいいの?」と小さく問われた。

私は迷いのない鋭い目で「何がですか」と答えた。

 

かつてあれほど私を苦しめていた迷いも交錯も全くなかった。

 

最後に上司から「アクセス数になるブログの知識を全部列挙していけ」と指示された。

 

私はアクセス数になるかならないかわからない微妙なラインのネタだけ大量に列挙して残した。

 

そのまま使ったところで大した利益にはならないだろう。知識を易々渡す気は無い。

 

引越しの当日、片付けを終え、何もなくなっただだっ広い部屋に別れを告げた。

 

フローリングの広がる2DKの部屋だった。部屋の状態は思った以上に綺麗で入った時とあまり変わりがなかった。

 

もう二度とここに戻ることはないだろう。

私は部屋とその土地に最後の別れを告げた。

 

部屋の独特な香りを思い出に焼き付けて、父が待つ車に乗り込んだ。

 

 

 

あれから数年が経ち、私は前よりも大きな会社で仕事をしている。

 

あの時とは違って、生きているだけで褒められる日々。私は仕事のできない無能から、仕事がすごく出来る人になった。場所が違うだけで評価がこうも違う。実に滑稽だ。

 

去年の秋、父が亡くなり母が家の権利書を手にした。母は家から私を追い出した。

 

家にはいられなくなり、引っ越すことになった。

 

難解と言われる厳しい審査を通過しようやく得た新しい部屋は、かつて住んでいた部屋と全く同じ間取りだった。

 

同じ家賃、同じ間取り、フローリングの床、白い洗面台、モニター式のインターホン。全てが同じ。

 

無色透明の方向性のない感情だけが、そこにあった。