ゴリアテ | アニメ・ゲームブログ

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配信者は狂人なら狂人なほど評価される世界

ちょっとセンシティブな話。

ニコニコ生放送やKickで配信している有名な配信者がブルマで下着を被って逮捕されてしまいました…。

これをきっかけに配信に対する締め付けがつよくなるのかな?と思ってはてなブックマークを見てみたら割と擁護する人が多くてびっくりしました。

 

 

確かに「不審者」というだけ逮捕されるってあんまり聞かないですよね。

電車に乗ってるとシグマボーイを大音量で流す人がいたり、乗客に向かって演説してる人がいたりヤバイ人だらけです。山手線2分止めたニコ生主だっているし。逮捕はやりすぎと言う意見があるのもそうかもしれません。

 

配信者はどんな人?

【速報】体操着と赤いブルマー着用、下着を頭にかぶり徘徊容疑 51歳逮捕「動画視聴増やすため」 市川署(千葉日報オンライン) - Yahoo!ニュース

当該の人物はぞっくんという配信者で2024年の公式歌枠で司会を勝ち取った人です。かなりの数字を持ってる人気の生主でKickに移動する前はニコ生でトップと言っても過言ではない人気配信者でした。

 

実は私もその公式番組に出ていたので配信でどんな人か聞かれました。みんなその人の事ヤバい人だって思うかもしれないけど、私は素朴で大人しい人なのかなと思いました。

 

司会をやっているときは終始大人しくて、うつむいていて話しかけられないと答えられない。人がいっぱいいるところが苦手なのかなと思いました。

ただ、配信になると変わってしまうのかなと思いました。

 

配信者にはスイッチのようなものがあって、配信開始ボタンを押した瞬間、配信モードになります。

配信は俳優さんみたいに、自分の喜怒哀楽などの感情を極限まで増大させて配信に映します。普段着から衣装に着替えるみたいに。

配信と言うのは一対多なので、日常の平坦な反応だと絵にならないんです。驚いたらワーッと驚いて、怒るときはファッキン!って怒ったほうが見栄えが良い。

これが驚いても「あぁ…」とか喜んでも「ありがと」とかそんな反応では見ていてもつまらないです。

 

配信に人が来なくなると居場所をなくす

さらに数字というものを常に意識しているので、これが落ちてくると内心焦ります。

数字が出ないということは配信の世界に居場所がないということです。配信って配信者がパフォーマンスするから攻撃的なジャンルかと思うかもしれないけど、実際は受動的なんです。配信開始ボタンを押したら私たちは待つことしかできません。

 

待っても人がこないということは飽きられたということなんです。

配信が本職になってくればなおさらで、社会との接点が無ければ私たちは一気に居場所をなくします。配信がなくなったらただのおじさんおばさんです。

 

人は絵に飽きてしまうから、新しく企画を立てたりコラボしたり変わったことをします。中には過激なことをして、それに飽きられたからもっと過激なことをする人もいます。

 

じゃあ歌や演奏、特別な技術を磨けばいいじゃないかと思うでしょう。どんな素晴らしい歌唱力も演奏も配信では評価されません。なぜならテレビでみんなそういうの見飽きてるから。

 

プロの演奏や歌をテレビでいつでも聞けるのにわざわざ素人の歌なんて配信で聞く必要ないじゃんね。だからそういうの需要にならない。ブルマ履いて踊ったほうが人が来る。

 

変人なら変人なほど評価される

ニコ生は元々社会のレールから外れてしまった人が多くいます。それは悪いことをしたから馴染めないとか、そういう自業自得なものばかりじゃなく、幼い頃からなんらかの理由があって集団と馴染めない、理解されない、その先に配信という手段があったりします。

 

私の場合、それは場面緘黙症でした。子供のころから家の外で一言もしゃべることができないのでほぼ一言もしゃべらず、友だちを一切作らずに大人になってしまいました…。

 

しかしそれは新卒入社というきっかけで体内の汚物をまき散らすように問題化しました。

 

ワンピースで好きなキャラは何?と聞かれた時、私はドクドクの実のマゼランと答えてドン引きされました。正解の答えはゾロ、ルフィ、サンジなどの主要人物です。

 

この一例は大したことがないと思うかもしれませんが、組織や大して仲良くもないチームでガチなオタクの返答なんて求めてないんです。それが理解できないで組織に所属してるからおかしくなる。

 

みんながぱっとイメージできてその場で話しかけやすくなる気配りが大事だったんです。好きな映画はヘルレイザーなんて言う奴に話しかけやすいですか?

 

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※ヘルレイザー

 

私はその気配りを無視して好きなキャラを押し付けました。こういった自分中心で身勝手な態度が仕事とか、知人との会話で致命的なインシデントになってきます。

 

根本からのセンスや好みを変えることは手遅れでしたが、幸いにも演技は得意でした。

私は社会になじむために会社で理想とされている女性や友人を観察し、それを自分でも演じることにしたのです。

ヘルレイザーなんかよりも君の名はとか天気の子を率先して見るようなそういう女性を。

 

配信はいつも素でいられる

ニコ生という場所はそんな私にとってとても居心地のいい場所でした。

他の人と違えば違うほど評価される。他社とは違う経験が自分の強さになる。狂っていたら狂っているほど人から愛される。障害だってないよりはあったほうがいい。

 

逆に配信で普通の人は全くと言っていいほど売れない。クラスで一番の人気者が配信を始めたらおもしろくないと言われて誰も来なかったりする。

今まで底辺で這いつくばっていた陰キャにとってこれほど悦なものはない。私は歪んでる、と思う。けどそれすらも配信は肯定してくれる。

 

ニコ生がなくなったら、一生偽りの「理想の社会人女性」の姿で生きていかなければなりません。演じるということは本当の自分を否定し続けるのでひどく疲れます。ただ生きていくだけで自分の本質を否定し続けるのはなんとも苦行でしょうか。