魔法少女まどか☆マギカの映画版、叛逆の物語を見ました。
なんというか感想はただひたすらほむらがキモい…でした。百合ェ…。
最後のこの印象的なシーン……。
キュウべえがボロボロになってる…かわいそう…。思わず可哀そうと思ってしまった自分に自己嫌悪…。
なぜキュウべえがボロボロになっているのでしょうか。
これ、考察ブログとか動画とか見てみたけど、どれもほむらがサンドバッグにしたとか、そんな感じで正直本当にそうかなぁって感じでした。
みんなあっさりしてて、そしてキュウべえ視点で見ている人もなんか感情に支配されていて、みんなキュウべえをイヤなヤツとして見ているせいかどこかキュウべえらしくない気がします。
キュウべえに物理的な暴力や罵倒は意味がない
あいつは、暴行だとか罵倒だとか物質的なものでボロボロになるようなヤツじゃありません。
ボコボコにしても殴っても嬲っても、その後にはひょっこり平然として何事もなかったように現れるそういう類のものです。
彼に大して物理的な暴力は意味を成しません。
だからほむらにボコボコにされたりボロボロにされるというのは違うと思いました。
であれば、彼はなぜ瞳が絶望に染まり再生が不可能になるまでボロボロにされなおも生かされ続けているのか。
私は彼が、ほむらによって意味のない酷使を強要され続けたことにあるのではないのかと思います。
キュウべえには核廃棄物を処理する魔法処女を生み出してもらわないといけない
キュウべえは人類を家畜として利用する人類にとってはイヤなヤツですが、必要な存在です。
彼らなくして人類の繁栄はなく、それによって生まれた廃棄物である呪いの対処法もありません。
原子力と同じで繁栄の上では必ず核廃棄物が生まれそれが人類を蝕んでしまうのです。
ほむらが欲しいのはどうにか彼らの核廃棄物処理を生み出す装置としての力を利用しつつ、彼らが人類を不愉快にさせないこと。
だからほむらはインキュベーターを支配する必要がありました。「私たちの世界に沸いた呪いを処理するにはこれからもあなたたちの存在が必要なの」というセリフから分かります。
映画をみるとキュウべえの自業自得に見えますが、そうではなくほむらは最初からインキュベーターの隷属化と、まどかを手に入れること、二つを目的としていたように思います。
ほむらがインキュベーターを支配するまでに行ったのは以下です。
- キュウべえに感情を与える
- 宇宙を人質に取る
- 意味もなく地球で魔法少女を生み続させる
インキュベーターは人間並みに厄介な知的生命体です。その知能だけは人間を凌駕しいずれ誰の力も借りず円環の理であるまどかの存在にも自分らの力でたどり着き支配を試みるでしょう。
本編と映画どちらも見ればわかりますが、彼らの行動原理のすべては宇宙であり、宇宙の寿命を延ばすためであればどんな手段も行います。それは生存戦略であるかもしれないしインキュベーターという存在そのものが宇宙の寿命を延ばすための装置なのかもしれない。
そんな彼らにとってほむらという存在は超危険な存在だったのです。人類が原子力発電を扱うのと同じようなもんです。ちょうど昔話題になった超危険な日本の高速増殖原型炉もんじゅみたいなもんです。
だからその危険性を知った瞬間、インキュベーターはすべてを放棄して地球から撤退しようと決定を下した。
彼らにとって宇宙は何よりも大切な存在であり恐怖であることが「撤退を決めた」という行動によって確定したわけです。
ほむらはインキュベーターを憎むと同時に彼らの唯一の理解者でありました。視聴者ですら理解しきれていない彼らの思考を、完全に理解しています。だから彼らを支配することができる。
キュウべえ視点のほむらはヤバイ奴
ほむらは因果を超えたまどかの力の断片を手に入れたことで高速増殖原型炉もんじゅ並みの未知数の力を有しています。
宇宙そのものを人質にされてしまったらインキュベータがどんなに素晴らしい知能を持っていても従う他ありません。
キュウべえにとって人間は感情を持った何をしでかすかわからないサイコパス野郎です。だから刺激して何をしでかすかわからない。しかもほむらは感情の果てにある超危険物そのものになってる。
サイコパスが 高速増殖原型炉もんじゅの施設内でガソリンばらまいて爆弾片手にヘラヘラ笑ってるのと同じ状態です。
でも彼女はまどかへの愛によってあの姿になってしまったのだから、インキュベーターがさっさと地球から撤退しまどかに手出ししなければ、なんとかなると考えた。
でもほむらはそれを許さなかった。
そこから先は地獄、
インキュベータは
地球という超危険な感情を持った人類の住まう星で、
宇宙と言う人質を取られたまま永遠に少女の願いを叶え続け、
意味もなく魔法少女を生み出しつづけるという無限の選択肢を取り続けるしかないのです。
そこに意味も意義もありません。
感情の危険性を知った段階で、宇宙の延命という彼らの存在意義がなくなります。
彼らの労働は完全に意味をなさない作業でしかないのです。
その作業を行うという選択をひたすら宇宙という人質のために取り続けなければならない。
そしてそんなインキュベータの利用価値を分かっているほむらがインキュベータに宇宙を返すわけもない。マフィアの組織と同じ。
宇宙に手出しはしないが、開放することも絶対にない。
つまりインキュベータは永遠に魔法少女を生み出す以外の選択肢を取り続けるしかなく、出口のない袋小路に閉じ込められてしまった。
人質のために魔法少女を産み続けるしかないが、人質が解放されることも決してない。
選択肢というものは選ぶものです。行動と言うのは自分で選択して行うものです。どんな人間にも二つ以上の選択肢があります。
はい、と、いいえ。
そのはずなのに彼らは「選択をする」という選択しかない。永遠に「はい」しか存在しない袋小路。
例えこのような状況でも人間には自殺するという選択肢が最後に残されています。
ですが、彼らは人質として宇宙を取られている以上、自殺することすらできません。
人間も同じで例えば自分の妻や子供をマフィアに人質として取られていたら、永遠に彼らに従い続ける選択肢しかなくなります。
過酷な労働の果てに精神が摩耗しても、心が絶望に負け死を願っても、宇宙のために魔法少女を生み出し続けなければならない。
意味がないと知りながら今までと変わらない態度で、少女を勧誘し、交渉し、説得し、その願いを叶え、今までと変わらない態度で意味もなく魔法少女を生み出す。
インキュベーターには「選択を取り続ける」という選択肢しかなくなってしまったのです。
まさに絶望そのものではないでしょうか。
あとはほんの少しの感情を与えさえすれば、暴行だのなんだのしなくても、インキュベータは勝手に絶望に染まっていくでしょう。
心が絶望に染まれば、あれほどの暴力をもってしても平然としていたインキュベーターも元の姿に戻るができなくなるのは想像に容易いです。
本編をよく見ればわかりますが、キュウべえは感情が存在しないのではなく、感情を持っていない、もしくは使っていないだけでした。
彼の世界では感情は極めて稀な精神疾患でしかありません。それは本編で語られています。つまり彼らが感情を持つことはできるのです。
- ほんの少しの感情
- 意味のない労働を永遠に行う
- 彼らにとって命より大事な宇宙を人質に取る
この三つの条件が揃えばインキュベーターを支配することは可能なのではないでしょうか。恐怖なんて与えなくても宇宙が人質に取られている時点で恐怖です。
そしてその果てにあるのは絶望だけでしょう。