ゴリアテ | アニメ・ゲームブログ

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ひぐらしのなく頃に業 郷壊し編20話の感想と考察「聖ルチーアと沙都子相性悪すぎ問題」

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アニメでやっているひぐらしのなく頃に業を視聴しました。17話までは普通にひぐらしのおさらい且つ問題提起って感じで見ててダルかったんですけど、郷壊し編でかなり面白くなってきました。

 

 

主なストーリー

 

第21話 郷壊し編 其の四

簡単に言うと郷壊し編は原作でフィナーレを迎えたその先の後日談。昭和58年6月のその先を迎えた部活メンバーたちが卒業してその後の進路って感じ。

聖ルチーアという私立の女子学園に進学したいと言い出す梨花ちゃん。沙都子はとりあえず梨花ちゃんと一緒に居られればいいので梨花の意志を尊重して一緒に高校受験を頑張ることに。

 

この時に流れる梨花と沙都子のデュエットがかなり良い曲なんだけどその後の展開で一気に落としてくる。シナリオ考えた人の悪意が感じられる。

 

努力の甲斐あって二人とも合格。

 

聖ルチーア学園ってどんな学校?

聖ルチーア学園は魅音の妹の詩音も通ってる学園なんだけど、典型的なお嬢様学校で財界の重鎮や地主の娘などが通っている学校らしい。広々とした自然豊かな環境で校舎は西洋風でかなりオシャレ。あいさつは「ごきげんよう」で偏差値も高くて寮もついててしかも寮はめちゃくちゃ綺麗。誰だって通いたくなるよね、と思わせる。

 

ただひぐらしやうみねこのゲーム本編で出てきたルチーアは結構悪く描かれてる。門限や外出制限はあって一度入ったらなかなか出られない。監視カメラもついてて詩音なんかは「めんどくさい子供を閉じ込めて管理する学校」とか言ってた気がする。結局、管理の厳しさに嫌気がさして脱走しちゃったんだけど、ただ女子高って不審者とか盗撮目当てで侵入する人が多いから学校がここまで徹底するのも当然だと思う……。

 

懲罰房は虐待と同じだけど当時の時代だと普通

さすがにその後の懲罰房みたいなところはやりすぎだし普通に児童虐待で現代から見るとヤベェと思う人多いはず。ただよく考えたらこの体罰ってこの時代だと当たり前だったんですよね。

 

今でこそ人権意識が確立されて体罰や虐待が犯罪として扱われたのですが、昭和58年頃って体罰が今以上に酷くて、言うこと聞かない生徒はでっかい定規で殴って血だらけにしたりとか、蹴ったり殴ったりしつけという名目でトイレもない物置にシャツ一枚で監禁して……という話が良くありました。

聖ルチーアも当時の時代背景を考えると、あの懲罰房はまだマシな部類だったかもしれません。

 

大人のいない自由な環境で生きた沙都子に聖ルチーアは致命的に相性が悪い

受験に合格したのはよかったが沙都子……聖ルチーアと恐ろしいほど相性が悪い……。悪い、悪い、悪すぎる……。

 

沙都子の礼儀や常識が欠けすぎて悪目立ち

聖ルチーア自体は割と普通の学園…。通ってる学生たちもみんないいとこのお嬢さんなのでいじめとかもない……。厳しいように見えるけど着崩した沙都子のシャツを頭ごなしに怒らない当たりそこまで校則が厳しいわけではなさそう。

先生は淡泊で一見冷たい印象に見えるかもしれないが、これは逆にこれでいい。子供に対してあまり自己投影しすぎてはいけない。一線を引いて公平に接しないと贔屓しすぎたりして逆に悪い影響になる。

 

ただ、この普通の学校、沙都子が暮らしてきた環境が環境なだけに相性が悪い。

これは沙都子が悪いとか学校が悪いとかの問題じゃなくて、沙都子の生活環境があまりにも恵まれなかったことによる副作用だと思うんですよ。

 

雛見沢分校って良くも悪くも異質な環境だったんですよね。あまりにも自由奔放で勉強のレベルもかなり低い。体育の時間は圭一も言ってたけど「遊んでるだけ」だったし服装も自由でみんなが好き好きに制服のコスプレして通ってる。

原作のおまけエピソードでもあったけど、智恵先生は他の大人に比べたらまだマシな大人ではあったけど、明らかに教育者としては実力不足。だから悪く言うと子供たちが管理しきれなくて放置気味でサル山状態になっちゃってるんですよね……。

 

両親や信頼できる大人がいないせいで常識を教えてもらえず育った

沙都子はそういった環境に加えて、両親がいない環境と虐待経験による大人への不信がモロに悪く出てしまっています。言葉遣いだけ良くて、立ち振る舞いがダメすぎるんですよ……沙都子。いきなり大声を出したり笑いだしたり、カバンの持ち方も乱暴だし制服もちゃんと着れてない……。周囲の生徒はドン引き。

 

小学生時代に周りにロクな大人がいなかったせいで、このあたり誰も注意してくれる人もいなかったし教えてくれなかったんですよ。雛見沢の住民は北条家に無視を決め込んでたし、知恵先生は若干放任主義だったし、入江は優しいけど男性なので女性の服装がどうとか髪型がどうとか立ち振る舞いに品がないとかは注意してくれない。言葉遣いは全部我流で覚えた丁寧語で明らかに変。

 

これ普通の人でも一人暮らし経験があると分かるんですけど、周りに管理してくれる大人がいなくなり制限から解放されると途端に乱れるんですよ。アニメだから綺麗に描写されてるけどリアルだったら、服装も汚くてしわだらけ、他人との距離感がおかしい、いきなり大声を出す、敬語が使えてるようで使えない、立ち振る舞いに品がない、髪がボサボサフケだらけ……、靴はいつも汚くて穴があいてる、気づかないと落ちるとこまで落ちていく……みたいな弊害が出てくる人が多いです。

 

沙都子は親も親戚も頼りにならないもんで、だから悪目立ちしてます……。これは良くない……。

 

高校入って今まで無視を決め込んでいた大人がいきなり注意してくる!※沙都子視点

加えて9年間の雛見沢分校の悪い面もモロに反映されてて服装自由すぎて制服を綺麗に着る意味も分からないし学校の勉強のレベルや授業内容が低過ぎで、普通の学校の教育レベルやカリキュラムについていけないしカリキュラム通りに授業を受けて試験で赤点を取っちゃいけない意味も分からない。

 

普通の中学校だったら、定期的に中間試験や期末試験があって学年ごとの平均点と赤点が出されてその平均点を見ながら自分の位置を確認して危機感を持ったりとか、逆に周囲に赤点の生徒が多すぎたりカンニング騒動とか起きたりして「うちの学校にいちゃいけない」とか、世の中の平均みたいなものを自覚するんですけど、沙都子の通っていた雛見沢分校だと同じ学年の生徒が二人か三人くらいしかいないんですよ。これじゃ平均も赤点もだせるわけがない……。世の中の基準値を知りたくても知れません。どうしてもサルのお山の大将状態になってしまう。

 

そんな自由な学校から偏差値の高いきちんとした学校に行って、今まで無視を決め込んでいた大人たちも「服装正せ」とか「赤点を取るな」とか割と注意してくる、そりゃストレスになる。

 

沙都子視点から見ると「今まで0点取っても何も言わなかったじゃん!何が悪いの!?そもそも赤点って何!?平均ってなに!?周りの平均高すぎ!こんなたくさん勉強するの!?無理!」

 

大人が信用できない沙都子

沙都子は虐待経験と雛見沢の住民たちから徹底的ないじめをうけたせいで人間不信のケがあります。それも大人に対する不信。一度だけではなく何度も大人たちから裏切られたせいで大人を信用できない。聖ルチーアでもそれがかなり悪く出てしまっていて先生に相談したり自分の思う所を話したりできない……。

 

一応担任の先生は、職員室とか避けて外で二人だけの環境を作って話ができるような環境を何度か作ってはいる。ただ前述した沙都子の生い立ちもあって相談するということができない。沙都子から見ると目の前にいる担任は冷酷で慈悲のない鬼に見えるかもしれない。

何度か持たれた相談の機会を逃して沙都子は梨花だけに依存して孤立していく。これはかなり良くない。こういう時の孤独はどんどん悪い方に行ってしまう。

 

とにかく勉強したくない沙都子が学園生活をマシにするにはとにかく勉強する意義とか目標とかがないとダメなんだけど、この年の子供にそれを見つけさせるにはやっぱり周囲の大人に相談したりとかって必要なんですよね。本当なら高校受験も周囲の大人が教えてあげないとダメなんですよ。どういう校風があってるとか教育方針がどうとか教えてくれる。

 

例えば圭一やレナが通ってる地元の大学に行くって目標をつくってそれを先生に相談すれば、先生も仕事なので一応最適な教育目標を用意して勉強とかも教えてくれるはず。

 

今でこそ慶応じゃないとダメとか、Fランがどうとか言われてるけど昭和58年頃って大卒ってだけで英雄レベルだから慶応じゃないからダメとか文句言わないと思うんだよなぁ。

 

梨花とかだと死の運命から逃れるために、大人たちを懐柔する必要があったからこのあたり上手いんですよね…。ただ沙都子にそれを強いるのは酷でしょう…。

 

どう頑張っても詰んでる

じゃあどうすればいいかって言うと、聖ルチーアに行かなければいいのか?って言うとそうでもない気がするんですよね。雛見沢は田舎なんで受験できる学校が限られてる。

沙都子でもストレスがない公立の学校ってなると普通の高校は全部外れるんですよね。高校に入学する以上授業内容はある程度難しいのは当然だし赤点とれば補講は普通にある。

そういうのがない学校ってなると、文字通り動物園状態の治安なってくる……そんな場所に梨花が行きたがるかと聞かれると……うーん微妙。

 

しかもこの時代って遠くの学校に行くにしても学区制ってのがあって、学区で受験できる高校が制限されてる所もあるんですよね。例えば埼玉から高校の学校に受験したくても学区外だからダメみたいな。今はそういうの無いけど昔はレベルが高い学校に人気が集中して、過疎る学校をなくすためそういう制度を設けてたところもあったみたいで、だから取れる選択肢がそもそも少ない……。

 

それに仮に梨花と一緒に偏差値の低い高校へ行ったとしてもその先の運命なんてわかり切っています…。若い段階で勉強を放棄してしまうと社会に出たときにとれる選択肢はなくなってくる……。

 

となると昭和68年を永遠にループさせて梨花とともに幸せな学校生活を送ってしまおうと考えるのは必然でしょう。もしかしてうみねこのなく頃で永遠のループを望んだラムダデルタって沙都子のことだったのか???ここでうみねこにつながるのか???