MARETUさんのボカロ曲、「しう」という曲にハマったので考察
発表順はしう、マジカルドクター、ナミダ、ぴんく。恐らくこの4つは話がつながっている?
しう、ぴんくの途中で入るWoWという合いの手、マジカルドクターのNAMIDAというキーワードから話のつながりを推測。薬物をテーマにしているマジカルドクター、ぴんくは間違いなくつながっている。同時にナミダも。
色々歌詞を見て考えた末におそらく話の時系列は発表順とは逆の
ぴんく(悲劇) → ナミダ(薬から立ち直ろうとして復讐を誓う) → マジカルドクター(廃人化) → しう(死ぬ瞬間)
なのではないか?
フランス映画の「アレックス」や韓国映画の「ペパーミントキャンディー」みたいな鬱映画系でも使われていた結末から物事の発端を逆に再生させていく手法で物語が語られている?
つまりは映画のラストシーンから、物語の導入までを逆再生のように話を展開させていく。視聴者から見ると最後に何が起こったのかが分かり、ゾッとする。
つまり「しう」と言う曲が物語の結末であり
その悲劇は「ぴんく」から始まっているのではないか?
しう考察
しうとは仏教用語で死有、死ぬ瞬間を表している。
しうは他3曲と比較すると第三者が悲劇を語り部のように歌っているのが印象的だ。
ぴんくでもマジカルドクターでもずっと主人公の視点、心情、叫びが歌われていたのにこの曲はひたすら他人事のように、誰かに問いかけ同情している。
全体的な歌詞の構成、仏教的な言葉回しからおそらく語り部は仏門に身を置く僧侶的な人物ではないか?
対象は、ぴんくで出てきた女性とその赤子。
ぴんくの女性とその子供の死ぬ瞬間を僧侶が看取っている。薬物に身を落とし、性におぼれ、子供まで犠牲にしてしまった、その女性の人生はあまり罪深かったが自業自得と見放すのではなく憐れんでいる。そんなことができるのは悟りを開いたような人物だけなので歌詞も仏門を思わせるような口調雄となっている。
本来なら誰一人同情もかけないような人物でも、汝、隣人を愛せと愛と憐れみをもって接している→「最低な犠牲者に愛を」
またこのフレーズは片方のイヤホンで聞くと「最高の犠牲者に愛を」という言葉になっているらしい。
「最低な犠牲者」→母
「最高の犠牲者」→子
ではないか?
「そもそも
このあたりはまるで仏門に身を置く人物から見た赤子の悲壮な宿命を憐れむかのような一文。
「宙吊りの屍に合掌 」
これは想像に容易く、たぶん女性は自ら死を選んだ。
この曲は死の瞬間をテーマにされているのではないか?ぴんくの女性の最期の顛末。
ぴんく
恐らく悲劇の発端?しうに至った女性がなぜそうなるに至ったか。
この歌だけがポップな曲長だけど歌詞がエグい。おそらくトップクラスにエグイ。
歌詞の内容からおそらくは薬物と性的暴行系。ぴんくとは「性犯罪者」という意味もあるらしい。
淡々と女性が薬漬けにされ犯されている様子が描写されている。凄まじく残酷なのはこの曲は一方から見ると性犯罪者からみたやってる最中の歌詞に見えるし、被害者視点から見ると破壊されていく歌詞に見える。
最初、被害者視点で歌詞を見た後、「薬中の性犯罪者の曲」として見るとその心情が描かれ吐き気を催す邪悪状態。もうすべての演出が残忍。これでもかってほどに残忍。
薬物によって侵された脳のモザイク写真をつかい、その写真の色素を薄くしていき、最後はダブルピース…多くの悪意と邪悪に蹂躙され狂っていく女性の悲鳴。
女性はおそらく性犯罪者・薬の売人から薬漬けにされいいように扱われている。
薬への依存度が増すたびに、同時にこのままではいけないと恐れ、警戒心も増していく。周りの人間が全て悪意に見えるが、自身では制御できないためどんどん救いようがないほど狂っていく。最後はもうどうでもよくなって快楽に身を任せてしまう。
途中ででてくる滅公奉私パーティーは明らかに乱交パーティのことを指している。
ただ言えるのはこの時点での被害者はまだ、完全には狂ってはいない。理性を持っている段階に見える。
自分では狂っていくと泣き叫んでいるが、まだ言葉を保っており、自我を失っていないようにみえる。
最後のダブルピースといい、犯罪者たちに女性がクスリ漬けにされてメチャクチャにされるという最初から最後まで胸糞悪い物になっているが沢尻エリカの事件なども起きているのを見ると、たぶん現実でもあるんだと思う。悲しいけど。
しうにでてくる動画内のイラストの象形文字は生贄の肉を煮るために使われた「鼎」という鍋に似ている。ぴんくの女性は偉い人達に捧げる生贄として目をつけられたのではないか?
とくに芸能界などで女性やこどもを偉い人に枕営業させるというのはよくあることだと聞く。この女性もその一人だった?昨今の芸能界でスクープされている性犯罪事件もこれほどまでか…と思うほど酷いものが多い。権力が強くなればなるほど、非人道的なことも許されてしまう…。
MARETUの曲は、実在の話も多いらしい…。何を思ってこの曲を書いたのだろうか。
→ナミダ → マジカルドクターへ
ナミダ
この曲は少し分かり辛いが、ぴんくの女性が立ち直ろうとしている話?それは復讐と言う形で行われているが、そうだとしてもあそこまで快楽におぼれた人間がそこから脱するために刃を握っているのであれば何らかの前進に見える。
よくわからない…リストカットを印象させる創作漢字、自分からあらゆるものを奪っていく悪人への怒り、そしてぴんくの女性が、まだ魂までは失っていないと立ち上がっているように見える。
死んではいない、魂は失われていない、だからまだできる。やつらに刃を。的な?
ぴんくの歌は性犯罪者の視点・被害者の視点どちらからみても歌詞として成立させることで性的暴行・薬物支配をひどく胸糞悪く描いた曲だった。
あそこまでの悪人だとするならば、ここまで復讐に憑りつかれるのも自然に思える。
実際この曲では涙とともに血まみれになっている描写があるので、おそらく復讐は成功したのかもしれない……そして殺人者へ…
被害者から加害者へ、その罪悪感でマジカルドクター化?
マジカルドクター
これはもう完全にいっちゃってる。ナミダ、ぴんくでまだ人の言葉を保っていたのに、「しょおきに…」や「びょおきは?」などその言葉すらもおかしくなってしまっている。歌詞でもいわれてるけど「もどれません」「治りません」ほんとそれ…。
ぴんくでこの上ないほど悲惨な状況が描かれていたがそれを上回るものがあるのだろうか、と思わせるほど別のベクトルで悲惨な内容になってしまっている。最後に「お姫様にはなれない」と人の言葉を成しているのがまた悲痛で、おそらく「しう」に至ってしまったのはこの人を取り戻したタイミングなのではないだろうか?
狂ってしまったままであれば死ななかったが、なまじ正気を一瞬でも取り戻してしまったがために「しう」の結末に至ってしまった。
この曲ではひたすらNAMIDAを連呼しているが、MDMAにも聞こえる。
恐らくぴんくの時点では「マリファナ」を使用していた主人公が合成麻薬にまで手を出してしまった。
マリファナは大麻と似たようなものらしい。大麻の恐ろしい所は副作用や依存性よりもゲートドラックとして利用されやすい所だ。吸引という性質上、大麻をきっかけに合成麻薬や覚せい剤に誘導していく。
だからぴんくの時点では狂っているように見えてもまだ文がつながっていたし、正気を保っていた。だけど合成麻薬、覚せい剤に手を出してしまい(あるいは売人から無理矢理打たれた?)その結果、取り返しのつかないほど心が退廃してしまい廃人状態になってしまたった。
後から考えてきづいたのだが、そのきっかけが「ナミダ」での殺人によるものだとするならば?自分が被害者でいるうちは耐えられたが、加害者となってしまったことで完全に理性が崩れてしまった?
そうして狂っていくその過程で子供を妊娠、出産まで至ってしまい…
→どうして生んでしまったの?どうして生まれてきてしまったの?どうしてここまで放っておいたの?と最後看取った僧侶はやるせなくつぶやく。そんな考察。