今朝司書の薄給問題がニュースにあがっていた。ブックマークを見てみるとこんなコメントがあった。
図書館司書、続けたいけれど 非正規、低賃金…「女性軽視では?」:朝日新聞デジタル
うーん、図書館でリファレンスを受けようなんて人はごく少数だし、業務の大半は本の貸出しと返却なので致し方ない。
2022/11/24 09:03
うーん、図書館でリファレンスを受けようなんて人はごく少数だし、業務の大半は本の貸出しと返却なので致し方ない。 - dazz_2001 のブックマーク / はてなブックマーク
喧嘩を売るようなことはあまり言いたくないし言わないほうが良いと思ったが、私はこの司書不要論のせいでいくつかの理不尽さをかみしめることとなった。
門外漢だからといって他者の仕事を見下し決めつけるのはよくないはずだ。
図書館にとって司書は必須。業務は本の貸し借りと返却だけじゃない。図書館が保管する大量の本の管理と整理。
図書館には非常にたくさんの本が保管されている。年代もバラバラで古い本もある。それが朽ちないように長い間知識として収集できるように品質を担保されているのは司書がいるためだ。
大量にある蔵書管理し適宜新しい本を収集し、多くの人に貸し出せるよう適切に配置し、常にだれの手にも取れるようにきれいに保管するという役割。司書がいなければ図書館は維持できない。今のGoogleの検索アルゴリズムに似た役割を人が担っている。電子データではない情報も紙では見つかったりする。
それを本の貸し借りしかやってないでしょwとバカにして給料なんて低くて良いといってしまうのは迷惑だ。ボランティアに頼ればいいって言ってもいつ辞めてもおかしくないボランティアに頼り続けてそのていと予算で運用をすすめていたらいつかは図書館自体が維持できなくなる。
私がこのコメントに対してここまで思うのも理由がある。
ある日、私が通っていた小学校では校舎の建て替えに伴い図書室がなくなった。
たしか3年生くらいまではあったと思う。
本の虫だった私は昼休みに図書室に通い本を借りて没入することが趣味だった。
昼休みや中休みの時間は静かに読書に投じていた。当時市内には小規模な図書館しかなく、本がそれなりに揃った図書館は電車で二本離れた遠い市外まで行かないとなかった。
戦時中に飼っていた犬を政府にあけわたした小説の内容は今でも覚えている。当時の事を知る印象的な話だった。小学校2年くらいの頃に読んだ。まだ覚えている。
校舎の建て替えが終わってからも図書室が戻ることはなかった。
私はこの時のことについて大人になってからも考えた。
図書室が廃止された理由は単に、学校図書館の司書コストの削減だった。
当時学校は教室不足という問題と、図書室を維持するための司書コストを抱えていた。
でも学校図書館の設置は法律で義務付けられている。
学校図書館を維持すれば教室も占有するし司書にもお金を払わなければいけない。
本の収集、既にある大量の本の管理、それらが朽ちないように品質を保全する業務、図書室そのものの維持、本の貸し出し、業務は多岐にわたり、図書室という一画を維持するために司書は必ず必要となる。
だけど本の収集にも保管にも、教室の確保にもコストがかかる。あの時の司書はボランティアだったような気がする。たくさんの本を読み聞かせしてくれていた。内容は今でも覚えてる。だからこそ予算が足りなくて維持できなくなったのか、いまではわからない。
学校司書を考える 図書館の「心の支え」なぜ消えた|【西日本新聞me】
図書室とそれにまつわるコストがが無駄だと考えた教師たちは司書そのものをなくし、図書室を寒い渡り廊下に配置することで解決した。調べたら他の学校も同じような事例が何件かあり、写真などを見ると廊下に本が配置されていた。その理由が同じく教室不足とコストダウン。
あの時、司書は最後まで学校図書室を作ろうと頑張っていた。名前も覚えてる。最後の一時、試験的に図書室が導入された。
担任は「図書室なんていらないでしょ」と鼻で笑ったのをよく覚えている。
渡り廊下に教室一室分の本なんて収まりきるわけない。
多数の本は廃棄となった。いくつかの本は希望者に配られた。私もいくつかもらったと思う。実家に行けばまだあるはずだ。
綺麗だった図書室は汚くて寒い渡り廊下に雑に配置された。
ダンボールに乱雑に置かれた本の山。
貴重な本はもうない。座って読むスペースもない。
小学生が本1冊に500円も払えない。あまたの本を読むことができたのは図書室があったからだ。みんなデジタルで読めばいいとか、買えばいいとか軽率に言う。
コストなく知を得る行為はそんなに悪い事か?
お金のない人がたくさんの本を読んで、たくさんの事を知る。そのための司書はそんなに価値のない職業なのか?
本の貸し借りしかしてない
このコメントは当時の担任が言い放った「図書室なんていらないわよねぇ」という言葉を思い出させた。