ちょっとした思い出の話。同じようなトラウマがある人って結構多いんじゃないかな?と思ったのでここにメモ。
何でも自分でできると言われがちなゴリアテもたった一つ苦手なものがある。
それが裁縫である。きっかけは小学生の頃の授業だった。
家庭科の授業でエプロン作りが必修とされており、我が小学校ももちろんエプロン作りを行っていた。
型取り、裁断、ミシンの使い方という一連の作業をやるのが普通だと思う。
誰一人失敗することなくすすむエプロン作りで私だけが失敗してしまった。
裁断している最中、引いた表情で「それ間違ってない?」と指摘する女子、顔が引きつる教師、私を囲んでうわぁと嘲笑する男子達。
そう、裁断で布を上下逆に裁断してしまったのだ。
キャラクターもののエプロンだったせいで上下逆だとおかしくなる。他の人は柄ものだから影響がないけど私はそうはいかなかった。
私は当時場面緘黙症という障害があり集団では一切話せなかった。そしてぼんやりした性格でドジ。
それに対し、クラスは人の失敗を「元気出して!」と励ましたり優しく見守るという優しいクラスではなかった。
失敗は絶対の悪の名のもとに嘲笑し、1人が失敗すると集団で問い詰めて攻め続けるという根暗なクラスだった。私は自分の失敗を見た瞬間、「また悪口を言われてしまう…」、真っ青になった。
予備の布を渡されたけど、周りの目が気になりパニックになってしまい、折った後の型紙でそのまま布を切ってしまった。本来よりもはるかに小さいエプロン。救いようのない大失敗。
「あぁー」と呆れた顔で見下す教師、騒然とするクラス一同、「マジかよ…」「バカすぎるだろ」「シンショウだw(当時のクラスメイトは身体障がい者をシンショウと呼んで中傷する言葉として使っていたのだ。今思い出しても許せない。)」
一身に注目を集め、四方八方から言葉が飛んでくる。
その時教師からも好かれていなかったので「焦って確認しないから…」と嫌味を言われてしまった。
必修科目でエプロン作りをしないことはできず、クラスでたまたま布地を二つ持っていた人から譲らせて続行することになった。
「三回目も失敗したら笑えるよな」と男子の言葉を後目にエプロン作りは続くがもう完全にやる気を失っていた私は家庭科の授業をサボるようになった。
授業にはいるが何もせず、ひたすら針に穴を通したりミシンをセッティングし続けたり悩んだフリをしてエプロン作りを拒絶するようになった。
他の生徒たちはあっという間にエプロン作りを終えていて終わっていないのは私だけになった。
そうしていれば自然と風化するかな?と思っていたが場面緘黙というのは本人が思う以上に周りはイライラするもので教師からの呼び出しと居残りを食らいエプロン作りをさせられる羽目になった。そこから先はもう覚えていない。なんだかんだエプロンは完成した気がする。
ただ一つ言えるのは私はその出来事をきっかけに一切裁縫をしなくなったということだ。ボタンの縫い付けすらやらない。大人になってからも母親にやってもらったり、友人にやってもらったりなんとかなるものだった。意外と男性の方が裁縫が上手かったりして頼むとやってくれた。
手縫いの玉止めもできない。裁縫だけはできなくなってしまった。
生活に必要な技術を得るための授業で、私は生活に必要な技術を失ったのだ。「玉止めすらできない」は私の持ちネタだが、それを言うと相手が男性だった場合、「簡単だよ!」と玉止めを披露してくれるのでおもしろい。
年下の友達と遊んだときにそんなエプロン話しを聞いてみたら「あー、それで失敗する子が多かったんだろうね、だから今は裁断がなくなったのかー」と言っていた。
どうやら今のエプロン作りからは裁断という工程がなくなったらしい。最初から裁断済みの布が配布されあとは縫うだけだとか。まあそりゃ縫物に比べて裁断は切るのを失敗してしまったら終わりだし。
ごりあてがやってる失敗なんてみんなやってるよ。おんなじ失敗をしてる人なんてごまんといるよ、気にすることないよ
と言われた。当時その言葉がほしかったな、としみじみ思う。
私と同じようにエプロン作りを大失敗した人いたら教えてね☆(ゝω・)vキャピ
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